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国際地域創造学部

人文社会学部

教員養成委員の紹介

国際地域創造学部 教員養成運営委員長 池上大祐

国際地域創造学部 教員養成運営委員長 池上大祐

所属:地域文化科学プログラム(西洋史研究室)

担当免許:中学社会、高校地歴

2024年度から、本学部の教員養成運営委員長を担当しています。本学部は、5つのプログラムのうち、国際言語プログラム(中高英語/昼間主・夜間主両方)、地域文化科学プログラム(中学社会、高校地歴)、経済学プログラム(中学社会/昼間主のみ)の3プログラムで教職課程を設置し、学校教師をめざす学生を日々指導しています。

本学部においては、教職というキャリアに向けた学生の「思い」は千差万別です。教科教育はあくまで手段で、生徒指導や学級運営に力を入れたいとする学生ももちろんいますし、所属するプログラムで磨いた学術的専門性(言語学、文化研究、文学研究、地理学、歴史学、考古学、人類学、民俗学、経済学など)を存分に活かした教科教育に特に関心を寄せる学生も少なくありません。また、公務員や民間企業への就職も視野にいれながら、選択肢のひとつとして教職を位置づけている学生も多いようです。

「教職をめざすならば、入学当初から高い目標をもって初志貫徹して、他のキャリアには目もくれず、粉骨砕身努力すべきである」という理想は、確かに崇高なものであるし、至極まっとうなことです。そう決意できる学生は、是非そのように頑張って、自身が目指す教師像に少しでも追いついてもらいと心から願っています。ただ、学生のみなさんは本学部で4年間学ぶなかで、苦悩・挫折をともないながら、いろんなことを経験・吸収して、自身の道を模索していくことになります。その過程でもしかすると教職に希望や関心を見いだせなくなることもあるかもしれません。

私がここで強調したいことは、「夢は形をかえていく」ということです。たとえば、学校教師を目指していたけれども、夏休みに世界を旅しているなかで、貧困の地域に小学校を建設する活動に従事したいという夢や、どうしても人前で「授業をする」ことは向いていないと気づいたけど、その教師と生徒をつなぐ教材系コンテンツを開発するNPOを立ち上げたいという夢と出会うかもしれません。そうした「形を変えた夢」が、教職課程で学ぶことのモチベーションにつながったり、戦略的に位置づけたりすることができるのであれば、一義的に教師になることを目指さなくても、ぜひ最後まで免許取得を頑張ることは可能だと私は考えます。  少しでも広義の「教育」分野に関心をもち、やるからには真剣に教職課程で提供される授業や実習で学ぶ意思のある学生のみなさんとともに、私自身も学びながら、今後ともサポートしていく所存でございます。


国際地域創造学部 教員養成運営副委員長 金藤多美子

国際地域創造学部 教員養成運営副委員長 金藤多美子

所属:国際言語文化プログラム(英語教育・応用言語学研究室)

担当免許:中学英語、高校英語

2024年度から、本学部の教員養成運営副委員長を務めています。

国際言語文化プログラム昼間主・夜間主コースで、中高英語教員免許取得を目指す学生対象に、「英語科教育法A・B」の授業を担当しています。例年昼夜合わせて30名ほどの学生が授業を履修しており、高い意識を持った学生たちとの出会いに、毎年気持ちが引き締まる思いがします。

私は大学卒業後すぐに神戸市立中学校英語教員に採用されました。「国際教育」を掲げる神戸において教員研修にも恵まれ、神戸市外国語大学修士課程では、自分と同じように教員をしながら授業力を高めるために大学院で学ぶ多くの先生方から刺激を受けました。修士課程時代に履修した集中講義の一つを担当されていたのが、琉球大学教育学部教授(当時)大城賢先生でした。講義の中で、読谷村の2つのガマの話にふれ、「戦時に米兵と交渉をしてガマにいる人たちを救った『英語力』、そして『勇気』、それらを育むのが沖縄の英語教育の目標である」旨の話をされました。それぞれの地域で、英語の先生方の教育に対する熱い思いがあるのだと感銘を受けました。

2020年度より小学校で英語が教科となり、新型コロナウィルス感染症による前倒しで教育現場におけるICT環境が一気に進むなど、今の大学生でさえ「自分たちが受けてきた授業とは違う授業が求められている」との認識が必要とされています。機械翻訳を含む生成AIありきの時代になり、生成AIツールを駆使する学生も増え、提出物には以前よりクオリティの高い英文が見受けられるように思います。その一方で、学生たちの「個性」が薄まっているのではないかという危惧もあります。「教育におけるICT活用」を講義で語りながら、一方で、(生成AIには頼らず)自分自身の経験と責任から生み出される自分のことばを語りたいと、時代に抗う自分もいます。そもそも英語を学ぶ意義は何なのか、を再考することが必要とされる時代になったと多くの研究者が指摘しています。 神戸で阪神淡路大震災に教訓を得て広まった多言語での外国人住民の支援活動や、現在に至る多文化共生社会へ向けた取り組み、また、沖縄における平和教育にふれながら、ことばを教えるということの意味を考え続けてきました。ことばを教えるということは、「平和」を教えるということです。ことばを教えることを通して、教室で教師が「平和」を語るということです。生成AIありきの時代になっても、そこに英語を学ぶ意義があるのだと思います。これから出会う学生たちにもそのように語り続けていきたいと思います。


人文社会学部 教員養成運営委員長 長谷川裕

人文社会学部 教員養成運営委員長 長谷川裕

所属:人間社会学科 哲学・教育学プログラム 教育学コース

担当免許:高校公民

1993年度から琉球大学に勤務しています。2012年度までは教育学部、2013‐2017年度は法文学部(現在の人文社会学部の前身)、2018年度以降人文社会学部所属です。教職課程の運営には教育学部所属の頃から何らかの形で関わっており、また教職課程の科目も現在の名称でいう「教育の基礎的理解に関する科目」のいくつかを以前から担当し、現在は「学校社会学」(教育学部生向け)、「教育社会学」(教育学部以外の学生向け)を担当しています。

研究では、上の担当科目通り、教育社会学、とりわけ学校教育制度を主対象とした教育社会学を専門分野としています。社会学は、近代社会(現代社会を含む)とはどのような社会であるかを掴もうとすることを基本的な問題意識としていると言われています。私も、大雑把に言うと、近代社会において学校教育制度という巨大な制度がなぜ生まれ、それは近現代社会を存立させる上でどのような機能・役割を果たしているかという問題意識で研究を進めてきました。

そのような問題意識で学校教育制度を見ていると、それが果たしている機能・役割は“功罪相半ばする”というふうに思えてきます。近代という時代が訪れて、一定年齢の子ども・若者の皆が通うことを原則とする学校が生まれ、人間社会がこれまでに蓄積してきた文化のエッセンスを誰もが身につける可能性がもたらされた。それは、間違いなく良きことだったと思います。しかしその一方で、その文化がカリキュラムとして編成される時、様々な問題を孕んだ既存の社会のあり方を是認する知識・規範の体系となってしまったり、またそれを身につけた度合いが測定されその測定結果によって人びとが序列づけられてしまったりというのも、紛れもない事実であった・あると思います。

このような社会学的観点から学校教育について考えてきた者であるからだと思いますが、私は、教職課程で学ぶ皆さんには、現在の学校現場のあり方そのままに適応しようとするのではなく、そのあり方がどのように生まれ維持されているのか、それは社会にとってどのような機能・役割を果たしているのかを、言葉本来の意味で批判的に(非難ではなく根本的に)考えてみるというようなスタンスを身につけていってもらえたらと思っています。そうしたスタンスをもちつつ教職課程で学ぶことは、実際に教職に就いて、学校現場を、学校教育制度をより良いものにしていく担い手となる上で有益なものであると思いますし、教職に就かなくても、学校教育に対し適度な距離感をもって観察し意見を表明できるという、とても貴重な資質の獲得へとつながるものであると思います。

活動紹介